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昭和の創作芸能、はねず踊り。

昭和の創作芸能、はねず踊り。

梅といえば2月ですが、3月の末、春も間近のこの頃に、
黄砂にも、嵐にも負けず花開くのが、旧奈良街道沿い隨心院の梅園。
小野小町と深草少将ゆかりの花の園が、
幻想的な「はねずいろ」に包まれます。

「はねず踊り」創作者に聴く。

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今年は3月28日(日)が「はねず踊り」の本番。梅の季節の隨心院のメインイベントとして、今や京都の伝統芸能として新聞やガイドブックで取り上げられるようになった人気の催しだ。毎年、地元を中心に選ばれた子どもたちが練習に励み、この日「はねずいろ」の美しいべべに身を包み、かわいらしい踊りを披露する。この踊りの発祥をご存知の方は、意外と少ないのではないだろうか。

先日、ふとしたご縁でその踊りを創作されたご本人にお話を聴くことができた。筆者の家のすぐ近くにお住まいで、早朝、散歩途中に神社の裏参道を丁寧に掃いておられたご夫人がおられたので、「おはようございます、ありがとうございます」と声をかけてみると立ち話に発展、祖父と仲が良かったご夫人とわかり、いろいろとお話するうち、あの「はねず踊り」を創作した森本博子さんと知った。その後、お家へお邪魔する機会を得て、インドへ渡って踊りの道へ進んだこと、一弦琴(いちげんきん)や八雲琴(やくもごと)の奏者として全国的に活躍されたことなど、楽しく「舞勇伝」聞かせていただいた。


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森本さんは「はねず踊り」のことについても、熱く語ってくださった。現在では、子どもたちが各家の門の前で踊っていたものを復活させたというニュアンスで報道されることが多いが、実のところは「復活」「再興」ではなく、踊りや歌、曲についてはその時に「創作」されたものだそうだ。隨心院周辺に伝わっていた小野小町と深草少将の物語を題材にして、子どもたちが「わらべ歌遊び」のような形で、歌い踊っていたというこの地域の昔の伝承をヒントに、昭和48年、当時の隨心院住職が森本博子さんに創作を依頼したそうだ。作曲は大橋博氏、振り付けを森本さんが担当した。「はねずいろ」の衣装を身にまとい、花笠をかぶり、梅の枝をもって、まるで梅の精のように軽やかに踊りながら、深草少将と小野小町の淡い悲恋を可愛いらしくおしゃまに表現している。


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「はねず踊り」の芸能としての美しさは、イタリアのフィレンツェでの公演を実現させるほどだった。2003年、歌舞伎創始の女性芸能者として知られる出雲阿国(いづものおぐに・安土桃山時代)が歌舞伎を始めた400年を記念して、ゆかりの地、四条河原で「復元阿国歌舞伎」が上演されたが、その前座で舞われたときの評判がきっかけだったという。森本さんは、昭和48年から40年近く幾多の子どもたちを指導されてきた。引退後は指導者が代わり、細かな点で創作当初とは違う点も見受けられるそうだが、わたしたち梅見客にとって、心を和まし、梅見に花を添えてくれる「山科の誇れる伝統」にほかならない。

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