HOME > BLOG > 琵琶湖疏水に沿って。 5. 大津運河(大津〜小関越え編)


2本目の「大津絵橋」は旧江若鉄道跡を利用した煉瓦舗装の洒落た遊歩道「大津絵の道」にかかる橋。中西さんは「斜めにかかっているのも珍しいでしょ」と嬉しそうに言い添えた。「三保ケ崎」橋は旧街道の通る道で「観音寺西」という五叉路の交差点に差しかかる。すぐ隣に架かるレールの鉄橋は、石山からここ浜大津を経て坂本へ至るx阪の線路。4本目の「北国橋」からは西側に立派な石積みの閘門が見られる。現在は電動式の鉄の門となっているが、疏水建設当初は木製の扉で、歯車につながった木の棒を4人の人力で回し開閉したそうだ。中西さんと一緒に歩くと、明治23年の頃を昨日のことのように語ってくれる。タイムスリップさながらの散策が実に楽しい。
反対側の「鹿関橋」から閘門を見ると、水路が二股に分かれて橋の手前でまた一本になっているのがよくわかる。この「鹿関橋」北西の袂に2009年の秋から絵地図付きの「扁額の説明板」が設置された。琵琶湖疏水のトンネルの出入り口である洞門には、それぞれ明治政府の要人筆による扁額(石盤の彫刻文字)がかかげられているが、その文字と解説が記されている。この看板の設置に関しても、実は今回案内役を引き受けていただいた中西一彌さんが、長年にわたって「近代京都の礎を観る会」の仲間と一緒に、関係当局に働きかけてきた経緯があり、今回「京都市上下水道局」が夢を叶えてくれることとなった。まさに影ながらの努力の賜物といえる。一見忘れ去られがちな歴史遺構や文化遺産は、それをこよなく愛し守ろうとする者が、信念と真心を持って懸命に請い願えば、いつか、何らかの形で、守られ受け継がれてゆく。今回の一件は、行政の裏側に埋もれた、ほんの小さな出来事にすぎないが、そのことを立証した。たとえ小さなエピソードであってもこのことは、ある人が夢や理想を思い描き実現しようとするとき、きっと大きな原動力となるはずである。