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4月上旬、大津運河第一トンネル西口周辺は桜一色。トンネル入り口付近の真上の山一帯には三井寺の境内が広がっていて、関西屈指の桜の名所となっている。時間があれば、大津運河散策のついでに散策してみるのもいい。運河は鹿関橋を越えると徐々に深く掘り下げられ、明治のロマンを感じさせる洒落た鉄柵の合間から随分下の方に水の流れが見える。急斜面の草の土手に木立が茂り、頃合い良く日の光を透かしている。運河に沿った2本の道筋は、洞門の真上でコの字型結ばれ、右岸は三尾神社の参道へもつながっていて、左岸は小関越えへと続く山際の道筋になっている。小関越えは、東海道が主要街道となる平安時代以前に栄えた道。福井や越前など北陸方面と都をつなぐ由緒ある道筋で、古くから多くの旅人が行き交った。

歩いて越えても30分ほどの小さな峠、登り口には小関天満宮がある。案内役の中西さんは「『山路来てなにやらゆかしすみれ草』と刻まれた芭蕉の句碑があるよ」と木陰の石を指差して教えてくれた。一休みに腰を降ろした石のきわにスミレを見つけて、ほっと心が安らいだのだろう、古道を歩くと何百年の時でさえ、ふと逆戻りしたかのような感覚に出会うことがある。芭蕉も異空間に漂うようなそんな旅ならではの感覚が好きだったに違いない。

小関天満宮から等正寺と新光寺の間を通って峠ふもとの集落を行くと、やがて緑の深い峠らしい道を上る。山頂までは幅の広い舗装道路になっていて、広々として気持ちのよい道だ。時折、車が飛ばして通り過ぎることがあるので、気をつけたい。ゆるやかなカーブから峠へ向かって一直線になると、坂が少しずつきつくなってくる。途中、右側には三井寺へと続く山道への分かれ道があったが、知らなければ見過ごしてしまう。しんどいなあと思い始めた頃合いに、すぐ道は平坦となり、この峠のてっぺんに建つ喜一堂にたどり着く。道路工事のときに見つかったお地蔵様を集めて、平成元年に地元の方々がこしらえたお堂だそうだ。その向かい側には、山水が汲める場所がある。そこから、広い舗装の道を降りても藤尾へたどりつくが遠回り。車も通るし、琵琶湖疏水遺構散策と銘打つなら、左へと反れる小関越えの古道へぜひ。
工事で最も難関だった第一トンネルは、大津から山科へとまっすぐに結んでいる。工事開始の明治23年当時には例をみない大工事で、全長約2.5kmのトンネルの途中に竪坑という巨大な竪穴を掘り、両端と中央部の3カ所から掘り進めた。人が乗り降りできるエレベーターのような木製の大掛かりな道具を使って、地中深くの現場とを結び、土砂や人足を運んだ。岡崎の水道記念館には、その様子が緻密に描かれた絵が展示されているので、機会があればぜひ見ておきたい。小関越えの古道を下ってきて、藤尾の集落に入る手前200メートルほどの左手に、竪坑が見下ろせる場所がある。夏場は葉が覆い茂り気付きにくいが、相当大きな赤煉瓦の円柱型建造物なので、注意していればすぐにそれとわかる。
筆者が子どもの頃には途中に茶畑もあって、まだ平安時代からの古道の雰囲気が随分と残っていたが、現在は少し荒れた感じは否めず、中西さんも「せっかくの散策道なのだから、なんとか整備されればよいのに」と嘆いておられた。諦めきれず目を凝らし、荒れた茂みを探しながら歩いていると、見覚えのある、色濃いツヤのある肉厚の葉を発見。枯れたツタや違法投棄された粗大ゴミにまみれてはいたが、まだ確かに茶の木々は茂っていた。嬉しいような悲しいような。今年平成22年は、疏水開設120周年。これを期にたくさんの人がこの道を訪れるようになり、懐かしい気分の味わえる情緒ある散策道として、蘇ってほしいものだ。



2本目の「大津絵橋」は旧江若鉄道跡を利用した煉瓦舗装の洒落た遊歩道「大津絵の道」にかかる橋。中西さんは「斜めにかかっているのも珍しいでしょ」と嬉しそうに言い添えた。「三保ケ崎」橋は旧街道の通る道で「観音寺西」という五叉路の交差点に差しかかる。すぐ隣に架かるレールの鉄橋は、石山からここ浜大津を経て坂本へ至るx阪の線路。4本目の「北国橋」からは西側に立派な石積みの閘門が見られる。現在は電動式の鉄の門となっているが、疏水建設当初は木製の扉で、歯車につながった木の棒を4人の人力で回し開閉したそうだ。中西さんと一緒に歩くと、明治23年の頃を昨日のことのように語ってくれる。タイムスリップさながらの散策が実に楽しい。
反対側の「鹿関橋」から閘門を見ると、水路が二股に分かれて橋の手前でまた一本になっているのがよくわかる。この「鹿関橋」北西の袂に2009年の秋から絵地図付きの「扁額の説明板」が設置された。琵琶湖疏水のトンネルの出入り口である洞門には、それぞれ明治政府の要人筆による扁額(石盤の彫刻文字)がかかげられているが、その文字と解説が記されている。この看板の設置に関しても、実は今回案内役を引き受けていただいた中西一彌さんが、長年にわたって「近代京都の礎を観る会」の仲間と一緒に、関係当局に働きかけてきた経緯があり、今回「京都市上下水道局」が夢を叶えてくれることとなった。まさに影ながらの努力の賜物といえる。一見忘れ去られがちな歴史遺構や文化遺産は、それをこよなく愛し守ろうとする者が、信念と真心を持って懸命に請い願えば、いつか、何らかの形で、守られ受け継がれてゆく。今回の一件は、行政の裏側に埋もれた、ほんの小さな出来事にすぎないが、そのことを立証した。たとえ小さなエピソードであってもこのことは、ある人が夢や理想を思い描き実現しようとするとき、きっと大きな原動力となるはずである。

大津港より国道を少し西北へたどった三保ヶ先埠頭での観光ポイントは二つ。疏水取水口の湖岸に浮見堂のように突き出た量水計と旧第三高等学校漕艇部の艇庫の跡。今でいう京都大学ボート部の前身にあたり、第一築地の芝生に築かれた琵琶湖周航歌の石碑は、この艇庫跡にちなむ。

板きれで建てた古びた小屋の入り口には白い文字で三高と書 かれ、石碑がある芝生の先にあった。錠前が外れて少し扉が開いている。戸口の前に乗用車が一台停まっていたのでおそらく部のOBか誰かが余暇を楽しみに来ているのだろう。おそるおそる中をのぞいてみると、水辺へとつながる大きな階段状の部屋になっていて、外から見るよりもうんと広く、がらーんとした空間にロープや浮き輪、工具などこまごました道具が無造作に散らばった打ちっぱなしのコンクリート床の上にヨットが一台置かれ、ひんやりとした空気が底から漂ってくる。その先では扉が開け放たれていて、明るくてまぶしい水面と一艘のヨットが見えた。乗り手二人の黒い影が水面からの逆行の光を浴びて、出航の準備か、ゆっくりと動いている。中に入って話を聞こうかとも思ったが、覗き見している罪悪感もあって、たまたま見れた小屋の中の映像を脳裏に焼き付けた。


わぁ〜れは うみのこ し〜らなみのぉ〜
うみのこ、海の子? 淡海の子

3 三高漕艇部(大津から小関越え編)
琵琶湖岸にある疏水の取水口、三保が崎埠頭の第一築地にて。案内役の中西さんが腰を降ろした石の背後に、赤味がかった大理石があって、斜めに切って磨いた面に琵琶湖周航歌の歌詞が6番まで刻み込まれている。「わぁ〜れは うみのこ し〜らなみ〜のぉ〜」といえば、昭和前半生まれの方々はほとんどの方がご存知だろう。が、若い方々にとっては、聞き覚えはあっても「琵琶湖の歌」とか「滋賀県の歌」とか、はたまた「海の歌」と思い込んでいる人も、なかにはいらっしゃるのではないだろうか。何を隠そう、この私も40年代生まれゆえに、ある時期までは完全に「琵琶湖の歌」と思い込んでいた。この琵琶湖周航歌は、旧第三高等学校、つまり今の京都大学ボート部の誇り高き寮歌として、代々受け継がれてきた名曲である。昭和6(1917)年に作詞され、昭和46(1971)年に加藤登紀子が歌って全国的に有名になった。「うみの子って、琵琶湖の上を自由にかけまわり、青春を波間に注いだ若き漕艇部員のことだったのか」と、妙に改めて感心してしまった。

その碑の向こう、埠頭の先端へと歩いていくと、漕艇部が使っていたという木造倉庫が建っている。浜大津駅から国道沿いに歩いて湖岸が開けたとき、前方に見えていた小屋だ。第一取水口の橋の上から見るこの木造倉庫のロケーションはなかなかいい。焦げ茶色の古びた板切れを重ねた壁面に、三本の横線と桜の輪郭、漢数字の「三」の文字、三高の校章らしき意匠が白く浮かび上がっている。反対側、埠頭からの入り口にも「三高&神陵」と大きく書かれた白いペンキの文字がまた興味をそそる。中西さんと訪れたときは、扉に錠前がかかっていて、この倉庫がまだ現役なのかどうかもわからず、ただただ、古びた倉庫の中身がなぜかとても気になった。後日、改めて写真を撮りに現地に出向いた折りに、偶然にもこの倉庫が現役であることを知ることとなる。湖の神様が見事に微笑んでみせたその続きは「4 三保が崎の浮見堂」で。
飲み水を運び、人や物資を運び、夢を運んだ運河、疏水。
大津から蹴上に至る運河沿いに明治のロマンを訪ねる。

2 三保ケ崎埠頭(大津から小関越え編)
大津の取水口へは、山科駅からは京阪電車を利用する(地下鉄東西線の三条・御陵間の駅からは大津行きの可愛らしい電車に乗る)。案内をしてくださるのは「琵琶湖疏水を語る部屋」主宰の中西さん。山科を出て10分ほど揺られ浜大津駅で降り、5分ほど国道沿いを東へ歩けば右手に湖が開け、ひっきりなしに車が往来する橋のたもとにたどりつく。三保ケ崎の取水口だ。この辺りは昔、三保ケ崎浜と呼ばれ、砂地の湖岸だったが、疏水計画の折、土砂の堆積を懸念し埠頭が築かれたという。埠頭は二つあり、埋め立てる土砂は大津運河と第一トンネルの掘削分を当てたそうだ。

橋から湖を見渡す。その日はどんよりと曇り空が広がっていたが、疏水を案内してくださった中西さんは、この埠頭の築地で多くの船が発着し、人や荷の積み降ろしでとってもにぎやかな場所だったと話してくれた。普段は省みることのないひと昔前の大津を思い描くことで、この地の今をより深みを持って眺めることができる。疏水沿いに明治のロマンを感じつつじっくりと歩いてみるそのスタート地点としてふさわしいにぎやかな雑踏。船頭の交わす声や埠頭の縁に当たる船板のきしみ、パタパタと押し合いへし合いながら船から降りて来る満足げな乗客、荷下ろしにせわしい少々荒くれた船頭。日焼けで赤茶けた背中は、汗できらきら光っている。その頃のにぎわいが次々と脳裏を駆け、当時の人々が皆、一瞬こちらを向いてにこやかに出迎えてくれたような気がした。

埠頭の交差点を湖に突き出た方へ曲がると車道の右側に芝生が敷かれ、ところどころに大きな石が置かれこぢんまりとした公園のようになっている。少し向こうには琵琶湖周航歌が刻まれた碑があった。中西さんは大きめの石を選んでそこに私を座らせ、自分はまるでマジシャンのように、持っていたステッキをポンと開いて小さな携帯のイスを取り出した。
「この解説を声に出して読んでみてくれませんか?」
今日歩くコースの主な概要が書かれたA4ファイルを開いて中西さんが言った。歴史的年代を含めた数値的データ、土木的資料、政治的時代背景といずれをとってもきちんと整理されている。
最初はいきなりのことで、まさか琵琶湖のほとりで声を出して朗読をはじめるとは思わなかったので、緊張して少々つまり気味だったが、いくつものスポットをまわるうちにだんだんとスラスラ読めるようになった。しかも音読するので、内容もどんどん頭に入る。それはそれで久々に学校の授業を受けているようで、なんだかとても楽しかった。皆さんも旅先で試してみては?